
「俺にはこれが調度いいんだよね」
親父さんは満面の笑顔で言った。
そう口にした親父さんの言葉に僕はギクッとした…。
僕はうつむき、足に合わない登山靴を履いた自分の足元を見た。
それは、「意地でもスカルパ履いてやる」と購入した登山靴だった。
足に合わない登山靴を買ってしまった経緯や理由が個人的にはそれらしくあったものの、それは理由というより、もはや「意地っぱりスイッチ」がONになったといったほうが正しく。兎にも角にも冷静さを欠き思慮浅い愚行だった。その結果として足に合わない登山靴を僕は履き、しっくりいかないそれについて思案し悩んでいた。
ついさきほど、初めて会ったばかりの親父さんの言葉は、自身のそんな浅はかさを見透かしているようで、僕は1人勝手に痛いところを突かれたと、居心地の悪さを感じたのだった。
とは言え、そんな面持ちを親父さんが知るよしもなく、彼はニコニコと人懐っこい笑顔でなおも語りかけてくる。
彼が投げかける質問は、既婚であるか?とか、家族や恋人、どんな仕事してるの?とか、そう言った当たり障りないものなのだった。僕がそれに答えると、うんうん、なるほど、そうか、いいねぇ、と言った風に頷きニコリとして話をする人だった。
日頃、人見知りがちな僕もついつい彼の所作に気を許してしまい話しが弾んだ。
それぞれ単独行だったものの同じ目的地を目指していた僕たちは、いつしかバディとなり道に迷いながらもその日の山行を過ごした。
その後、親父さんとは連絡先を交換しFacebookでつながりをもった。しかし、つながりを保ちつつも一緒に山行をともにすることはなかった。もちろん、ともに山に赴く機会がなかったわけではないが、彼からのせっかくの誘いを僕は断り続けた。当時、週に一度の休みもままならなかった僕には「できない約束」がいくつかあって、1泊山行もその1つだったからだ。
あれから四年ほどの月日がたち。親父さんのとの記憶もおぼろになりつつあった2018年の1月。日光庵滝に1人赴いた僕は彼と再開する。
それは、冬空の下、猛々しい氷瀑と化した庵滝を訪問した帰り道のことだった。日光自然観測所跡地まであと少しの所の小高い斜面を小気味良く下っていた僕は、行く先からこちらにむかってくる1人の登山者がいることに気がついた。
こちらに歩いてくる登山者との距離が徐々に近づいてくるにつれ、その歩き方に見覚えがあるように感じた。
こんにちは…。
小さく短い挨拶を交わした。
斜面を確認しながらのすれ違いざま、彼の履いた登山靴が眼の端に映った。
僕は振り返り、彼の後姿を確認した。
小柄だけど骨太な体格。少し前のめりで歩く姿勢。ニット帽の端から見える白髪。
そして、シリオ…。
シリオの親父さん…。
僕は思い出し「はっ」とした。
親父さん!
足元を1歩ずつゆっくりと確かめるように登っていた足が止まり。彼が振り返り僕を見た。そして、少し間をおいた後、僕の名前を彼が口にした。
そうです。お久しぶりです。
いやぁ~。久しぶりだねぇ。かわりないかい?
はい。実はたくさん変わりました。
結婚したの?
いやそれはまだですけど。いろいろ変わりました。
そうかい。変わったかい。ずいぶん暫くぶりだものね。変わりがあっても元気そうだから大丈夫だね。
はい。
それはそうと、この前さ、14時間も歩いたんだよ。それでさぁ…。
親父さんはニコニコと楽しそうに、そう切り出した。
冬の太陽と冬の空の下、僕たちは山でする立ち話にしては少し長い。
そんな具合の話をした。
終わりに
ある時、ある瞬間、突如として引き出される記憶というのがある。あまりに突然におこるものだから「どうして、そんな事を思い出したのだろう …」と不思議に思っていたら、その後に思い出された記憶に紐づいた出来事に直面することがある。じつは、この親父さんと再開する数日前に親父さんのことを不意に思い出した。まさかその数日後に親父さんに出会うなどと思いもしなかったけど、僕は会話の内容や食べた物や持ち物といった細部まで記憶をさかのぼって懐かしい気分をすごした。その矢先の再会だった。
これはきっと、虫の知らせってやつだな。そう思わずにはいられない。そんな出来事だった。
さて、親父さんが履いていたシリオが気になる方がいるかもしれないので、リンク貼っておきます。
それではまた。

