
子供の頃から、無性に心惹かれるものというのがあった。それは押入れの中にしまわれた玩具のイラストが衣装箱であったり、虫かごを手に向かった夏の雑木林、お正月の歌の知らない遊び、そこに嬉しい楽しい何かがつまっているのではと「わくわく」としたことを覚えている。子供というのは見たものを解釈し勝手に想像した物と結びつけるプロであって、子供の「わくわく」はそこかしこに溢れている。そして少し妄想癖の強い子供であったものの僕もそうであった。そんな僕の妄想と欲求を強く刺激した缶詰。それがコンビーフ。
物心ついたころより無類の肉好き。肉しか食べない子供と思われるくらい肉が好き。もちろん父親の拳骨を恐れていた僕は舐める程度に野菜も魚介類も少しは食べた。そんな肉狂いの僕がどうしてコンビーフに心ひかれたかと言うと、やはりそのパッケージに描かれた牛であったり缶の中身の写真やイラストにそそられたのからに他ならない。
こいつはきっと、すげぇ美味い肉に違いぜ。
台所に置いてあったコンビーフの缶を見る度に素晴らしい肉を想像して食卓に並べられる時を今か今かと心待ちにしていたのだが、ついぞ小学校高学年になるまで僕が口にすることはなかった。当時、僕が口にすることのなかった缶詰が家には沢山あって、それはコンビーフにはじまりカニ、サバ、桃といった缶詰がそうであった。まぁ、カニもサバも僕の担当ではなかったのだけど、桃は食べたかったな。
さて、僕が初めてコンビーフを口にしたのは小学5年生の頃のように記憶している。
ある日、祖母と近所のス―パーマーケットに買い出しに行った時の事だった。野菜やら魚といった担当外の食材を吟味していていっこうに肉コーナーに進まない祖母に痺れを切らした僕はコンビーフについて聞いた。
「婆ちゃん、コンビーフって美味いの?」
「コンビーフ食べたいの?」
「うん、家にあるけど開けないし。家のは古いから新しいの買って食べてみたい。」
「じゃ、2つ買って帰ろうか。1つは全部食べていいよ。」
今までのお預けが嘘のような即答だった。
珍しく夕飯の準備を手伝った僕はコンビーフのテクニカルな開封方法に苦戦しながらも缶の封を切りそして皿に塊を盛り付けた食卓へ運んだ。
「いただきます!」
僕は小躍りしながら肉塊にガブリと食らいつき、すぐさま吐き出し、そして狼狽えた。
手にした塊は確かに肉のはずなのに…これはいったい何なんだ。こんな事があっていいわけがない。肉ってもっと美味いもんだろ。シーチキンはツナでマグロだけど美味しくなってるのに、コンビーフは肉が肉のままなのにどうしてくれたらこうなるんだ。
「婆ちゃん、これまずいよ。ジョンの餌みたい。」
「コンビーフって、そんなものだよ」
無類の肉好きの僕の肉好きたる自尊心が初めて挫けた瞬間だった。
「ごめん、俺、これ、無理だわ。しょっぱくないからジョンにあげてもいい?」
「しかたないね。ジョンに美味しく食べてもらいな。」
僕はコンビーフを手に取り玄関先にあるセントバーナードのジョンの小屋へ向かった。
退屈な夜の始まりに備え小屋のすみで座り込んでいたジョンに声をかけた。
「ジョン、ちょっといい・」
ジョンは「また散歩か?俺はいつでもOK準備万全だぜ」と言わんばかりに駆け寄ってきて小屋の格子に前腕を乗せたり降ろしたりを繰り返していたが、僕の手にしたコンビーフに気がつくと「なんだよ、それならそうと言ってくれよ。お座りからだろ?」といった風に勝手にお座りをしヨダレを床まで垂らしながら「それ、下さい」と僕を見つめてきた。
「ジョン、これ俺は無理だから食べていいよ」
ジョンは一口でそれをたいらげると「もう終わりか?」と言いたげな顔をした後、しつこく手をなめ回し僕の右手をヨダレ漬けにしたので、僕はジョンの頭を撫でるふりをしてジョンの頭にヨダレを擦りつけてやった。
コンビーフって、そんなものだよ。
コンビーフって、そんなものだよ。
コンビーフって、そんなものだよ。
それが無類の肉好きの僕の肉好きたる自尊心が挫けたできごとだった。
終わりに
最悪な出会いから始まった僕とコンビーフ。以来、20才頃までコンビーフを口にすることはなかったが、とある喫茶店のコンビーフサンドを食べてからというものコンビーフの虜になった。出会いは最悪だったけど今は仲良しの友人。そんな具合だろうか。
それはそうと、コンビーフってやつはなかなか手ごわい。何が手ごわいかというと、やはり独特の香りと油分だろうか。私が過去に作ったコンビーフ料理はコンビーフサンドとコンビーフパスタくらいで、どちらも下の上といった具合の仕上がりだった。もっとも、もっぱら食べるのが専門の僕が上等なコンビーフ料理を作れるわけがないのだけど、コンビーフってやつは調理する人のセンスがもろに出る食材で、素晴らしく美味しいものもあれば、ちょっとあれなやつもある。つまり、作り手にとっても注文し食べる側にも手ごわい食材。それがコンビーフってやつなのかななんて思ったりするのだ。
駄文に最後までお付き合い頂きありがとうございます。
簡単で美味しい。そんなコンビーフ料理を考えて見ようかな…なんて思案しています。
それでは、また。





