バレンタイン ブルー

「バレンタイン・ブルー」と聞いて「はっぴぃえんど」と繋がった人は割りと音楽が好きな人ではないだろうか。昭和の音楽界に多大なる影響と功績を残した面々が在籍した伝説のバンド「はっぴぃえんど」。その前身の1つが「バレンタイン・ブルー」。まぁ、これについて僕は語れるほど多くの知識を持たないので、あしからず。もしも詳しく知りたい人がいたならネットで調べてほしい。なるほどそれわそれわと、その偉大さを知ることができると思う。

さて、冒頭題目の「バレンタイン・ブルー」。残念ながら、これは伝説のバンドの話ではなく「バレンタイン・デーの僕はブルーな気持ちだった」という少しセンチメンタルなことを書きたくて思いついた題目だ。

ちなみに「センチメンタル」とカタカナで書くと「セメダイン」を連想するのは僕だけだろうか…。さらにその連想が広がって「セメ・ダイン」なのか「セメダ・イン」なのかとわざとらしく区切りをつけて脳内問答を繰り返しては混乱してくる自身を楽しんだりもするのだが、不思議で楽しい単語だなと常々思っている。まぁ、そういう遊べる単語としては「マク・ドナルド」と「マクド・ナルド」も同様でどちらとも気に入っている。

さて、唐突に話をもどすと僕は生まれながらに「バレンタイン・ブルー」を患っている。それがどうして患っているかというとことなのだけど、理由は単純で僕が2月14日のバレンタイン・デーに生まれたことが原因だ。

ここまで書くと「どうせ誕生日に意中の女性からチョコレートを貰えなかったからだ」とか思われるかもしれないが、それは少し当たっているが少し違う。つまり「おしい!」といったところか。残念なことに青春時代の僕は女子というよりもデートやその先に待っているキスやら性行為に興味があっただけで恋心とか失恋というものを純粋な欲求と明らかな欲求不満というかたちでしたか感じていなかった。当然、そんな僕はモテなかったのだが、その青春に後悔はないしブルーを患った原因でもない。

では、ブルーな理由は何なのか。

それは…そうだな…物心ついたころから感じてはいたのだろうけどはっきりと認識したのは少年時代だろか。それはバレンタイン間近にせまった教室に漂う妙な雰囲気や、帰宅後チョコレート工場と化したキッチンに立つ姉と妹の姿。そして試食係の僕とおこぼれを授かる僕。当日、声をかけられた女子からの頼み事が友人への仲介であったり、母や姉と妹がテヘペロな笑顔とともに手渡してくれたチロルチョコに前日までの豪華な代物との差を感じたこと。さらに我が家は誕生日もクリスマスもプレゼントは無しという非道ぶり。そういったことが複雑にからみあって、僕にとって誕生日はただの日常であり、それどころか、そろいもそろって僕でない誰かに思いをよせるどうでもいい1日であると認識した。

そして、それは誕生日という僕にとってのイベントはバレンタイン・デーというイベントよりも劣っていて、それはバレンタイン・デーに乗っ取られたような。「誕生日」という文字が「バレンタイン・デー」という文字に上書きされたうえに保存されてしまったような…そんなふうな感覚だった。

とはいえ、そんな僕の心を見透かしたようにきちんと祝ってくれる人もいなかったわけではないが、それも長くは続かなかった。

もっとも、その長く続かなかった理由が「バレンタイン・ブルー」の衝動を患ったまま大人になった僕がバレンタインに関係のない時期にまでブルーを内包し「はっぴぃえんど」を手放しで喜ぶことができず、そればかりか、それはきっと長く続かないと諦めていたことが原因であったりもするのだろう。まぁ、何にしたって結局は「はっぴぃえんど」が続かなかった現実が今で、この先の「はっぴぃえんど」を諦め望まないのが今の僕なのだろう。

と、まぁ、こんな具合に僕は誕生日である今日をブルーに過ごすわけなのだ。

「バレンタイン・ブルー」おわり