ナンプラーやニョクマム、しょっつるといった魚醤をときどき口にしたくなる。

先日、幼少の頃は魚介類が苦手でまったく食えなかったということを書いたけれど、今現在はそんなことはない。むしろあれほど嫌だった焼いた海老やイカの香りを嗅いだだけでよだれが垂れるほどであり、好物の部類に入る食い物にまでランキングはアップしている。(エビを食べると口が痒くなるけど)

「嫌いな食べ物が好きになる。」そんな奇跡が何故に起きたかについては、そうなるべくして起きたようなドラマチックな出来事があったわけではなく、覚えのないある時期を境に「エビもイカも好き。」になっていたのである。

とは言うものの、きっかけなくして、理由なくして、そのような奇跡が起きるわけがないと俺自身も思うので、随分昔にそれについて考えたことがあるのだが、その時の結論は「臭いに鈍感になった」または「臭いに慣れた」の2つであった。

題目のナンプラーやニョクマム、しょっつるは塩漬けにした魚類をドロドロになるまで腐らせたものから抽出した液体調味料である。

当然、その臭いには癖があり、魚介類を克復したはずの俺をもってしても数年前までは口に入れることをはばかる代物だったのだが、ここ数ヶ月ほどはそれらを口にしたいとの欲求を強く感じるようになったのだから不思議である。

思えば、その前兆となる要因は幾つかあり、ナンプラーを隠し味とした料理を定期的に口にしていたことはその要因としては最も大事なところだろう。

当初、臭くて食えねと思っていた魚醤をつかった料理を嫌々ながら口にする機会に恵まれたことは後にそれらを求める衝動を患うまでに俺の体内に浸透していたのだ。

これは飲食店チェーンやコンビニが行うドミナント戦略に近いものだろうと薄知ながら思ったりもするのだが、まぁ、遠からず近からずといったところだろうし、食べる機会が多いということが「慣れる」とか「鈍感になる」ということに加担しているのである。

とどのつまり、どんなに糞まずいもの、もしもそれが本物の糞であっても「食う」ことに慣れてしまえば人は何でも食うのだ。それはペンギンやオオカミの子供が母親の吐しゃ物を抵抗なく「ねぇ、ママ、おいしいね」と食べているのと同じようなものだ。

話がそれてきたのでもどそう。

題目の「ナンプラーやニョクマム、しょっつるといった魚醤をときどき口にしたくなる。」は慣れた先にある美味さの気づきであるが、俺のキッチンには魚醤の類がひとつも置いていない。

それは、もともと口にすることをはばかる食品であったということに加え、タイ人でもベトナム人でもはたまた秋田人でもない俺が日常的に使うことのない調味料をキッチンにストックしてあるはずがなく。スーパーマケットで購入したところで使い切る自信がないということが理由にある。(ナンプラー、ニュクマム、しょっつるの味の違いが分からいことも一因だけど)

では、どのようにして俺は「魚醤を口にしたい。」「ちょっと臭いの食べたい。」といった欲求を満たしているかというと、それは「塩辛」である。それも最近は「カツオ塩辛」を料理に投入することで「ちょっと臭いかも」と思いながら食べっている。

その調理に投入する方法はさまざま(汁類・炒め物・隠し味の3つだけだけど)あるが、たいして美味い物でもないので詳細は割愛するが魚醤とはまた違う臭みがあるので試したい方はやってみるといいのではないかと思う。