グッバイ、ばあちゃん。久しぶりに晴れた日曜日の記録。2018.6.24 Sunday

天気は久しぶりの晴れ模様で翌日から通夜と葬儀が控えているとはいえ、息抜きが必要だった。

身も体も固く強ばって、何をするにも壊れた歯車の噛み合わない音がする。何かの拍子に涙がこぼれるのだが、それを許さない門番が睨みをきかせては水門を締め上げた。そのうち二日酔いの朝を生きているような、自分で自分を操縦することが難しくなっているような気がした。

水曜日の晩、婆ちゃんは急死した。6月5日に91才になったばかりだった。死因は腹部大動脈瘤破裂。ストレッチャーを拒否し自分で歩くときかなかった祖母が、しぶしぶストレッチャーにのり救急車に運び入れられてから数分とたたずに事態は急変した。痛い痛いと悶えていたのだが、ふいに空中の果てを見つめた後、体をぶるぶると震わせ握っていた手を小刻み揺らした。そして、ぴたりと静かになった。どんなに声をかけても反応なく、声の届かないどこかに行ったきり帰ってこなかった。

いつもの駐車場から貯水ダムの堰堤を歩き登山口へ取りついた。

いつもより早いペースで歩ききることを心がけ、可能なら小休止も入れずに登りきりたかった。足がブルブルと震え胸が破裂しそうなくらいでかまわない。大粒の汗とともに身体中の腐った組織を吐き出したかった。

歩くほどにぐんぐんペースを早め階段のポイントの中ほどにたどり着い頃には苦しさ立ち止まった。

小休止をいれずに歩ききることは叶わなかった。そこが限界だった。

太ももはブルブルと震えていたし、胸は張り裂けんばかりに苦しかった。頭のてっぺんから顔面につたい落ちてくる汗はベタベタとした感触で脳の芯まで響く心臓の鼓動は体内から体外へと腐った組織を押し出してくれているようだった。

呼吸をとめた祖母の胸を激しく突き抜くように懸命に蘇生作業をしていた緊急隊員を尻目に終始穏やかな口調の隊長が強い口調で言い争った相手は誰だったのだろうか。その内容の詳細は。

「先生、そういう判断なですね。私はそうは思いません。それが先生の判断なのですね。」

心配停止後、受け入れを承諾してくれた病院の医者は「しぼんだ心臓では蘇生事態ができない手の施しようがない。よしんば手術をしても体がもたない」と言った。

死亡確認は23時2分だった。

尾根の見える頃にはこんぱいになった。聞き分けの悪い子供のように言うことを聞かない足、いっこうに楽にならない呼吸に苦戦しながらも登るという作業の1つ1つを確認しながら尾根を目指した。そして、91才の祖母の日々の生活について思った。

きっとこんな風に歩いていたのだろか、それとももっと過酷なものであったのか。

比べようのないことであることなど分かっていたが比べずにはいられなかった。

ようやく尾根にあがった時、その場にへたりこみたい衝動に駆られたが、ぬかるみの残った山肌を見て遠慮した。泥だらけのシャツをにこにこと洗ってくれる人はもういない。このまま歩くほかにないと決めこみ歩き続けた。

ぜぇぜぇひゅうひゅうと肺の底を鳴らしながら山頂にたどり着き、腕時計を確認すると、1時間をきって山頂にたどり着いていた。

55分か…こんなに早く歩いたのは何年ぶりだろうか。

頭から爪先まで汗でぐしょ濡れであったが、かく汗はサラサラとしたものに変わっていて、肌を撫でる風が清々しかった。それまでのぎくしゃくとした感覚は失せ、まるで体内が新鮮なものに生まれ代わったような、そんな気がした。そして、何事も悔いることもなく受け入れよう。そう思えた。

下山は軽快に歩き、貯水ダムを1キロだけ走った。胸を裂くような苦しさもブルブルと震えた足も、そこにはなかった。

終わり

「これからは、ばあちゃんとじいちゃんが家にいるから大丈夫だよ。心配いらないからね。」

小学五年生のある日、祖父母が突然に同居を始めた時に祖母はそう言った。以来、祖父が亡くなり、両親が仕事のために東京で生活を始めた後もそれは変わらず、姉や妹が家を出て、やがて祖母と2人の生活になっても「大丈夫」の約束は反古にされることはなかった。

「婆ちゃんは気がすむまで俺といていいからな」

二人だけの生活のおりに祖母に言った言葉だ。けして祖母の晩年を満たすことなどできなかった。でも、たったそれだけしか出来なかったけれど、そう告げた約束もなんとか守ることもできた。

祖母にしてあげなかった事、してあげられなかった事を数えたらきりがない。きっと祖母だって我々家族にしたい事が山ほどあったはずだと思う。我々家族は祖母が生きていてくれさえいれよかった。祖母も同じような思いだったと思う。

小さな約束が、過去から今、そして未来と永遠にあり続けてくれるものだと思っていた。でも永遠ではなかった。ただそれだけだ。約束は反古にされたのではなく守られ、成就したと考える方が合点がいく。そして何より小さい約束が自分の傍らにいつもあって、守りきられたことを誇りに思いたい。御守りは成就したら役目を終えるじゃないか。きっと誇らしく喜ばしいことなのかもしれない。そんな風に思う。

そうそう、ばあちゃん。

ばあちゃんの死んだ晩から、数年ぶりに尻が痛いんだ。イボだよねこれ。

まぁ、今も昔も見せたことないけど。

とりあず痛いんだわ。